2006年12月22日 (金)

トゥインクルレース(5)

レース後は、怜子の父が大森にある行きつけの中華料理店にメンバー全員を招待してくれた。4人は怜子の父に何度もお礼を言いながらも遠慮なく飲んで食べた。怜子の父は競馬の素晴らしさを皆に語り、馬主としての楽しい話を沢山聞かせてくれた。匠も吾朗も日向も須々木もいつかは馬主になりたいなどと、これまでにないテンションで語り合った。

 そして、翌日のSGHCは前夜のトゥインクルの話題で持ちきりになった。日向、匠、慎吾の3人から須々木大明神と崇められた須々木は照れながらも、「オグリが呼んでるって事だな」なんてもっともらしいことを言いながら、他のメンバーを羨ましがらせた。

何でそんな素敵な情報を教えてくれなかったんだ?!と、嘆く仲間達に謝りながらも、擬似とはいえ、馬主気分で1頭の馬を応援し、そして勝利し口取りを体験。更に好配当の当り馬券までと、最高の体験をした興奮を抑えきれず4人ともどこか夢心地でヘラヘラしていた。更にオグリを阪神競馬場まで応援に行くという全く未知の領域へトライすることの興味も手伝って心此処にあらずといった感じだ。

「お土産はオグリの現地単勝馬券です」と笑いながら匠が伝えると、「じゃあ1人1万円分で」とか、「宝塚歌劇団のパンフレットも」などと野次を飛ばされながらも、「SGHCの代表として恥ずかしくない応援をお願いします」なんて真面目に部長から言われたもんだから、少し緊張の面持ちになりながらも、にやけ顔は最後まで治らなかった。そして、SGHCで作成した横断幕を持たされ、オグリの勝利を祝して、万歳三唱で見送られたのだった。

そして4人は金曜日の授業が終わると、その日の夜行バスで阪神競馬場へと向かったのだった。

2006年12月20日 (水)

トゥインクルレース(4)

8時15分、生ファンファーレが鳴り響き、いよいよ発走。

グッドラックは楽に先手を取り、マイペースでレースを進めていく。「そのまま、そのまま」と向正面から騒ぐ慎吾。声には出さないが頷く他のメンバー達。他馬の騎手も休み明けのグッドラックはバテると思っているのか仕掛けていかず、一人旅状態・・・そして先頭のまま4コーナーを回って直線へ。

「イケェ~」「グッドラックゥ~」須々木も日向も匠も慎吾も一気に弾けた。そして、グッドラックに騎手の鞭が一発、二発と入ると更に伸びる。グッドラックの脚色は衰えることなく、むしろリードを広げる独走状態。見事先頭のままゴールへ飛び込んだ。須々木と3人は怜子の父に勝ったら来るように言われていた1コーナー端にダッシュした。2着に何が入ったかなんて全く気になっていなかった。ただ、グッドラックの逃げ切り勝ちを信じ、願い、そして、その通りになった。

 1コーナーの端にコースに入れる入り口があり、そこで怜子の父母、怜子が笑顔で到着した「おめでとうございます」須々木は怜子の父に挨拶すると、怜子の父は、「さあ、みんな一緒に行こう」といって、何とメンバー全員を優勝の口取りの中へと入れてくれたのだ。

 須々木以外の3人は何もかも初めての体験で興奮しっぱなし。コースの上で口取りに収まっている時は、配当の事などすっかり忘れていた。

「幾らついたんだ?」真っ先に現実に戻ったのは匠だった。「単勝1620円、枠連3-5、4380円だと」と須々木。「何で分かるの?」と日向が聞くと、口取りの時に払い戻し金額のアナウンスしてたのをちゃんと聞いていたらしい。

 「うぉー、マジかよ~」と吾朗が絶叫すれば、匠も「やったな」と大騒ぎ。

 単勝の払い戻しが162,000円で1人当たり4万1千円。しかも5枠は2番人気のブルーファイターとの組みあわせだったから金額はともかくとして全員が当たり馬券を持っていた。

2006年11月21日 (火)

トゥインクルレース(3)

厩舎から戻った4人は、怜子の父が用意してくれていた1号スタンドの馬主席へと向かった。怜子の父は須々木達の席も、自分達家族と同じ馬主席を用意していてくれたのだった。至れり尽くせりの対応に須々木以外の3人は緊張気味。まあ、馬主席といっても、一般の指定席と変わらない場所にあるのだが、3人にとっては何もかもが初体験。すっかり舞い上がってしまっていた。

そんな3人の緊張をほぐしてくれたのが須々木だった。「メインへの資金稼ぎにパドック観て、しっかり馬を見ようぜ。」この一言で、席を離れた4人はスタンド上部から1Fに降りて、パドックで出走する各馬を眺めた。慣れない場所からの観戦だったのが、いつもの場所に降りて落ち着いたのか、6Rのパドック診断では4人が一致したネイティブランナーを怜子の父にも推奨。何と全員が馬券を的中してからは、いつもの調子に戻った。

夕暮れから少しずつ夜となり、カクテルライトが輝く時間になり、場内の観客の声もレースを追うごとに大きくなっていく感じの中、刻々とメインレースの時間が近づいて来る。

7時40分、いよいよパドックにメインのブリリアントカップに出走する馬達が現れた。
1番人気はハイセイコー産駒の牝馬クインハイセイコー、2番人気はブルーファイター、3番人気はチャンピオンダイナと続いている。グッドラックは14頭立ての8番人気で、単勝22倍前後を示している。本当に勝てるのか?須々木ですら不安を覚えたのが、パドックでの気合の良さを見て4人ともグッドラックの好走を確信。
 予定通り単勝を1万円購入し、後は各自グッドラックの入った3枠から思い思いの馬券を購入。1番人気のクインハイセイコーの入った1枠との1-3でも20倍あるし、3-3のゾロ目なら130倍の万馬券と好配当を示していた。

2006年11月20日 (月)

トゥインクルレース(2)

日本ダービーが終わると、東京・大井競馬場ではトゥインクルレースという名のナイター競馬が始まる。日本で始めて実施されたナイター競馬ということもあって物凄い人気を集めていた。
 平日ならば仕事が終わった後に競馬場に行けるということで、競馬ファンだけでなく、アフター5の遊びとしてサラリーマンやOLが沢山詰め掛けていたし、大井競馬場から見える程の直ぐ隣の平和島競艇場から競艇が終わった後に歩いてくるというギャンブラーも少なくなかった。
 もちろん休日ならJRAの競馬が終わった後に更に競馬が出来るとあって、多くの競馬ファンや家族連れで賑わっていた。

 5時にパドックで集合した4人だったが、実は須々木は怜子と怜子の父に頼んで、厩舎に挨拶に行く時に仲間3人も一緒に入れて貰うようにお願いしていたのだ。
 そのことを当日知らされた3人は突然のサプライズにビックリしながらもパドックで怜子と怜子の父母と対面した。軽く談笑した後、厩舎の方へと連れて行ってもらい、グッドラックと対面した。匠も慎吾も日向も初めての体験に異常な興奮を覚えながらも、怜子の家族の正装ぶりや、須々木がいつもよりきちんとした格好をしていたことも手伝ってか、3人も完全にグッドラックを応援しようと決めていた。

 匠のアイディアで、各々に買う馬券は別として、1人2500円ずつを出し合い、4人のお金を集めた合計1万円で、グッドラックの単勝を買うことを決めた。
 単勝で10倍以上つけば、阪神競馬場までの4人分の交通費は間違いなく出るし、1万円なんて単位の馬券を手にするのも初めてのことになる。4人はメインが待ち遠しくて仕方なかった。

2006年11月19日 (日)

トゥインクルレース

オグリが勝った安田記念の後、オークス、ダービーと東京競馬場で観戦した4人は、ダービーの夜も酒を飲みながら競馬談義に花を咲かせていた。
 アグネスフウジンが勝ったダービーの余韻に浸る者、皐月賞馬ハクタイセイを応援していた者、メジロライアンの逆転に賭けた者など様々ではあったが、レース後は競馬場全体で沸き起こったナカノコールで盛り上がり、馬券の当たった外れたなどはあまり気にせずに、ダービーという競馬の祭典に酔いしれていた。

 そしていよいよ再来週はオグリが挑戦する宝塚記念だ。

 須々木は前々から思っていたことを、この日一緒にいた匠や慎吾や日向に伝えた。

「宝塚記念を観に行こうと思っているんだけど、皆で一緒に行かないか?」

「えっ」残りの3人は皆一同に驚きの声をあげた。宝塚記念は阪神競馬場で行われる。東京や中山や大井のように簡単に行ける場所ではない。安田記念の夜に、オグリが海外遠征をする時は観に行こうなんて騒いでいたけど、そんなことは須々木以外は考えても見なかったようだ。

 「宝塚観に行くって、どうやって行くんだよ?電車賃だけでも往復で2万以上するだろう?!」匠は須々木に質問した。日向も慎吾もうなずいた。

 須々木は答えた。「水曜日の大井で、怜子と初めて応援した思い出の馬でもあるグッドラックが、半年ぶりにメインのブリリアントカップに出走してくる。休み明け明けで多分人気はないが、勝てると踏んで家族揃って応援に行くので、この馬の単勝を2千円も買えば、多分交通費と馬券代くらいは出るよ」と・・・

「おー馬主情報ですね」と日向が尊敬の姿勢を示しながらも茶化し気味に突っ込みを入れると匠と慎吾も笑いながら同じように茶化してみせた。
 そんな突っ込みにも負けずに須々木は話を続けた。曰く、怜子の父の愛馬が走る時、家族揃って観戦に行くときは、極めて勝率は高いんだそうだ。もちろん競馬に絶対はないから確実という訳ではないけれど、可能性は高いと思うと。
 「ヨシっ、そんな美味しい話があるのなら、大井で儲けて宝塚に行くか!!」と匠が叫ぶと、日向も慎吾も「大井で儲けて宝塚へ行こう~」と叫び、あっという間に全員一致で決定し、大笑いして更に飲んだ。
 そして、水曜日の授業が終わった後、大井競馬場パドックに集合ということで、この日は別れたのだった。

2006年11月15日 (水)

オグリキャップ(5)

競馬好きの大学生が壮大な夢物語を語ってから数日後、オグリキャップ陣営から、オグリのローテーションが発表され、スポーツ紙の記事を大きく飾った。
 何と宝塚記念出走後、北米最大のレース・アーリントンミリオンに挑戦すると発表したのだ。これにはファンもマスコミも騒然となった。海外への挑戦という言葉は理解してもイメージ出来ないファンが多数だったと思う。
 ジャパンカップ創設後、世界との差を痛感していた日本競馬界。日本史上最強馬だったシンボリルドルフを以ってしても通用しなかった世界の競馬。
 そんな中、地方からデビューし、国内のエリートをなぎ倒した不屈の魂を持つ馬、オグリキャップが海外に挑戦する。

 オグリなら、海外でも何とかしてくれるんじゃないか?!

 一気に壮行レースの感が強くなった宝塚記念だったが、気になったのが鞍上。
武豊は安田記念一戦のみの騎乗依頼だったらしく、アーリントンミリオンにしても宝塚記念にしても鞍上はまだ決まっていなかった。

 一体誰が騎乗するのか?

注目されたオグリの鞍上は、何とデビュー3年目の岡潤一郎騎手と決まった。岡騎手はデビューの年に44勝を挙げ新人賞を受賞。2年目の6月には札幌競馬場で5連続騎乗5連勝(当時の新記録)を達成。3年目となる今春にはNHK杯(GⅡ)をユートジョージで勝ち重賞初制覇。確かに若手としては乗れている騎手ではあるが、GⅠの大舞台での経験が殆どない若手の起用である。しかも間違いなく1番人気が予定されるオグリキャップに騎乗するのだ。

 オーナーと同じ高校を卒業しているから同郷のよしみで乗せるらしいとか色々と報道されたが、多くのマスコミ、ファンは不安の声の方が大きかった。

2006年11月14日 (火)

オグリキャップ(4)

匠は、宝塚記念、秋の天皇賞、ジャパンカップを勝ち、この年からGⅠに昇格されたスプリンターズSを勝ち、有馬記念を勝てば堂々の8冠となるとぶち上げた。昨年、マイルCSの後、連闘でジャパンカップを2着したオグリなら、距離体系も関係なく、こんな凄いことをやってのけるだろうと言うのだ。

 この意見には、須々木も慎吾も日向も賛成したが、日向は更に一言付け加えた。有馬を勝った後、ルドルフの成し得なかった海外GⅠ制覇で完璧でしょうと。

 これには皆、唖然とした。他のメンバーは海外の競馬ということなど、殆ど意識していなかったし、考えもおぼつかなかった。

 日向は話を続けた。ルドルフは有馬記念優勝後、アメリカ西海岸のサンタアニタ競馬場で行われたサンルイレイSに岡部騎手と挑戦して6着と敗れ、そのまま引退していると。ジャパンカップに来ない馬も含めて、世界の頂点に立ってこそ、オグリキャップのストーリーは完結するのだと。

 そこまで熱く語る日向のテンションに連られるように、「じゃあ、オグリが世界に行くときは絶対に応援に行こうぜ!」と須々木が言うと、酔っていたことも手伝ってか、一同全員で雄たけびをあげた。世界一になるオグリを観に行くぞ。と

2006年11月13日 (月)

オグリキャップ(3)

安田記念はオグリの他には、前年の優勝馬バンブーメモリーや皐月賞馬ヤエノムテキ、重賞4勝の上がり馬オサイチジョージ、前哨戦の京王杯SCの優勝馬シンウインドなどが出走していた。半年ぶりの実戦ではあったがオグリキャップは堂々の1番人気。その走りを期待してスタートを待った。

 いよいよスタート。高らかにファンファーレの演奏が始まり、ファンは手拍子をし、新聞を天に掲げて大声をあげる。

 当然のように4人も声を上げた。そして、オグリが先頭でゴールするまで、声を嗄らさんばかりに応援した。そして、そんな多くのファンの期待に応えるかのように直線で先頭に立つとファンの歓声は更に大きくなる。そして先頭に立ったまま、ゴールインした武豊&オグリキャップ。しかもレコードタイムのおまけつき。

 やはりオグリキャップは強かった。

匠も須々木も慎吾もオグリの復活走に狂喜し喜びを爆発させた。武豊とのコンビを反対していた日向もまた、反対してたことなど忘れてしまったかのように他のメンバーと一緒に喜びを分かち合っていた。レース後は府中駅前の居酒屋でSGHCのメンバーと祝杯を上げた。

 中でも話題となったのが、この後のオグリの事だった。元々クラシック登録がなかったオグリは、皐月賞、ダービー、菊花賞には出走出来ていない。中央移籍後、重賞6連勝で一気に注目馬となったのだが、その後のGⅠ勝利は有馬記念、マイルチャンピオンシップ、そして今日の安田記念と3つのタイトルしかない。
 日本史上最強と言われているシンボリルドルフは皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念(2勝)、ジャパンカップ、天皇賞(春)とGⅠを7勝しているのだ。

 現在GⅠ3勝のオグリがルドルフを超えるには、GⅠを7勝以上することが必要になる。

2006年10月 6日 (金)

オグリキャップ(1)

オグリキャップ。

地方笠松から来た芦毛の野武士は、3歳クラシックの登録がなく、皐月賞や日本ダービーへの出走が叶わなかった。

 しかし、同世代の重賞を4連勝。更に高松宮杯、毎日王冠と古馬も一蹴し、その知名度は競馬ファンの間では一気にUPしていった。

 この時代、何故か芦毛馬の活躍が目立ち、遅れてきた芦毛のヒーロー、タマモクロスとの対決が話題をさらった。

 天皇賞、ジャパンカップは敗れたものの、有馬記念で雪辱を果たし、3歳にしてNO.1の座に就いたのだった。

そして4歳時、オグリの人気は頂点を迎える。オールカマー、毎日王冠と連勝し迎えた天皇賞秋を2着に敗れた後、ジャパンカップの前にマイルCSに出走。

 もう届かないだろうと思われた位置から一完歩ずつ前を行くバンブーメモリーとの差を縮め、バンブーをハナ差捕らえた所がゴール。

歴史に残る好レースをした後、何と連闘でジャパンカップに出走。

 ここでも勝ったホーリックスと同タイム2分22秒2のレコードタイムで2着という走りを魅せた。

 多分この時から、オグリを応援するファンが更に増えたのではないだろうか。地方笠松から登場したオグリキャップは、時として薄汚く映る芦毛馬であったし、血統もお世辞にも良いとは言えない。

 そんな馬が生まれながらのエリートを次々と倒すという物語は、ハイセイコーの時代も含め、日本人が好む判官贔屓な部分も多分に持ち合わせていたに違いない。

 

 しかし、ジャパンカップの力走で、どんなに苦しくキツイ場面でも頑張るオグリキャップという存在は、競馬という枠の中を飛び出し、国民的アイドルホースへと変わって行ったのだと思う。

 それまで競馬に興味が全くなかった椿慎吾でさえ、ジャパンカップを見た後、オグリの虜となり、SGHCに入会している訳だから・・・

ジャパンカップの次走は当然グランプリ・有馬記念。スーパークリーク、サクラホクトオー、イナリワンらのライバルの中、オグリキャップは当然、単枠指定で断トツ1番人気。

 オグリがクリスマスプレゼントを運んでくれると信じた多くのファンが中山競馬場に集まったのだが、しかし、激戦の疲労が溜まっていたのか、直線で伸びず5着と不可解な敗戦を喫してしまう。

2006年10月 5日 (木)

1990年(春)・5

競馬への入口は全く違う4人だったが、4人共、青明学院大学競馬クラブ-略称SGHC(Seimei Gakuinunivercity Horse Club)というサークルのメンバーになっていて、競馬三昧の毎日を送っていた。

サークルの活動としては、週末の競馬観戦だけでなく、平日は、トゥインクルレースでナイター競馬を楽しんだり、競馬ブックで週末の検討をしたり、とにかく生活の中心に馬があった。

ただし、純粋に競馬をするサークルというのでは殺伐感があると感じた創設者が、青明学院大学ホースクラブという乗馬体験や馬事文化の研究などをする馬が好きな人のためのサークルと言うことで登録をしているため、競馬クラブではなく、ホースクラブとなっていたのだった。

サークルは、その略称としてSGKCではなく、SGHCと略され、メンバーのほとんどはこの略称を使っている。FBIだとかNASAだとかSWATだとかそういうローマ字略称がかっこいいと思ってみんな好んでいる。

競馬全般というサークルだから、乗馬部のメンバーが掛け持ちで入っている場合もあったり、寺山修司に魅せられた演劇部との掛け持ちの奴もいたりはしたが、大概は競馬好きの集団だった。

少し前なら、競馬=馬券が大きな割合を占めていたサークル内だったが、この頃には、特定の騎手や馬だけを応援するというメンバーのグループも多数あった。

武豊、藤田伸二、岡潤一郎、横山典弘、田中勝春などの人気騎手や、タマモクロス、オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン、ヤエノムテキなどの人気馬をとにかくひたすら応援する。

馬券で勝った負けたはそんなに関係がなく、横断幕を作っては競馬場に行き、彼ら騎手や特定の馬だけを応援したり、彼らの写真をひたすら撮ったりするのだ。

 したがって馬券を買うにしても単勝だけだったりする訳で、それも最低金額の100円のみ。見方によっては、タレントやスポーツ選手の追っかけのようなノリで、騎手や馬を応援しているのだった。

2006年10月 4日 (水)

1990年・春(4)

椿慎吾は大学に入ってからも暫くは競馬という遊びには興味を示さなかった。

小学校から青明学院に通っていた彼は、競争をするということ事態にあまり興味がなく、競馬よりも中学時代から続けているテニスに夢中だったし、週末とのなれば、社会学部の同じゼミの仲間と流行り始めていたサーフィンも始めていた。

どちらかと言うと、体を動かしているほうが好きなタイプで、長身で甘いマスクのルックスを生かしてアルバイト程度に雑誌のモデルのようなこともしたりと多忙な毎日を過ごしていて、競馬には全くと言っていいほど無縁な生活をしていた。

そんな彼が競馬に興味を持ったのも、オグリキャップの存在だった。

周りの皆がオグリオグリと騒ぐので、競馬を知らなくてもオグリキャップの名前くらいは知っていたし、元々何でも1度は体験しないと気がすまないタイプだったので、1度くらいはオグリを観に行ってみようと思ってサーフィン仲間と一緒に行動を起こしたのが、海の水温が下がる秋の暮れ。

 オグリが劇走したジャパンカップだった。

馬券の買い方も良く分からないまま、サーフィン仲間と初めて競馬場に行った慎吾は、とにかくオグリキャップを買っていれば大丈夫と思ったらしく、単勝、複勝、枠連のオグリからの全ての組み合わせを購入し、万全の体制でレースを迎えた。

 結果は世界レコードと同タイム2分22秒2。オグリの走りは初めて競馬を見た慎吾にとっても、その走りは鳥肌モノだった。そして何より初めて買った馬券が見事に当たってしまった。

残念ながら単勝は外したが、枠連と複勝が的中。これまで体験したことのない興奮。この瞬間から、慎吾はオグリキャップ教の信者となる。

そのかわり付き合っていたミス青明学院の彼女には、「ギャンブルをする人なんてイヤ!!」と言われて振られてしまった。

彼はどんな女の子にも振られるなんてまず無いことで、人生で初めて振られるという体験をしたにもかかわらず、懲りずに競馬三昧をしているのであった。

むしろ、この競馬熱を理解してくれない女とは付き合わない。

そんな風に心に決めているくらいだ。

2006年10月 3日 (火)

1990年・春(3)

須々木悟朗は、高校時代から付き合っている滝川怜子と大井競馬場にいったのが競馬との付き合いの始まりだった。

 彼女の父はウォーターフォールズマーケットという大型スーパーや総合スーパーを国内に十数店舗持っているウォーターフォールズ社を経営している社長で、大井競馬の厩舎に馬を数頭預けている馬主でもあった。

そんな彼女の父が待つグッドラックという、彼女が名付けた馬が初めて走るというので、2人で学校をサボって大井競馬場に出かけたのだった。

 グッドラックは見事彼女と彼女の父親の期待に応えて優勝。一緒にいた須々木は、一緒に口取りと記念撮影に参加させてもらい、一気に競馬ファンになった。

大学生になってからも、何度となく彼女と競馬場に出かけては、彼女の父の馬を応援したりしていて、プチ馬主気分を味わっている。

付き合って5年。2人の関係は順調だし、彼女の両親とも競馬という共通の趣味のお陰でとてもスムーズだ。最近では、どんな血統の馬を買ったら良いだろうか?とロメオ・Y・ジュリエッタというシガーブランドのチャーチルズという名のシガーを美味しそうに吸い、ロマネコンティの入ったグラスを傾けながらの父親の問いかけに応える為に、血統の勉強も始めている。怜子いわく彼がシガーを吸うときは楽しいと感じているときなんだと言っているらしい。

少し前に卒業後の進路を彼女の父親がチャーチルズに火をつけながら聞いてきたので、これはもしかして、スーパーチェーンの跡取り候補か?

などと、勝手に舞い上がっていたりもするが、彼女の方は、まだ結婚には現実的ではないらしい。

最近では海外の大学に留学したいと、フランス語の勉強のためにアテネフランセにせっせと通い、もともと得意な英語にさらに磨きをかけるために必死に勉強していてデートの約束も須々木から言わないとないくらいだ。

他に会えるとしたら、彼女の父親の馬が出走するときに呼ばれるくらいだった。やっと取り付けた約束のデートの時にはいつも親の力に頼らず、自分の力で自分の人生を切り開きたいと目を輝かせて語っていた。そんな彼女の顔をついついかわいいな、などと思って見とれてしまう須々木だが、彼女が就職希望先として外資系の商社の名前を何社も口にするたびに現実を突きつけられて我に返るばかりであった。

2006年10月 2日 (月)

1990年・春(2)

何も知らない小学生達は、もしかしたら当たり馬券が落ちているかも!と妙なテンションで朝早くから盛り上がっていて、中には、落ちていた馬券を前日の結果と照らし合わせて確認しながら掃除をしていた奴もいたくらいだった。

まあ実際、当たり馬券を手に入れたという話は一度も聞かなかったが、今となっては、そんなとこに当たり馬券が落ちている訳がない事も分かるし、懐かしい思い出だ。

 そんな環境で育ったからではないだろうが、匠は中学生の頃からは、家にあったスポーツ新聞で競馬予想をして楽しんでいた。もちろん、予想するだけでなく、GⅠなどの大レースの時は、父親に頼んで馬券を買ってもらったりもしていた。

 ある時など、50倍もの配当を1000円買っていて、儲かったお金で父と母と妹と4人で寿司屋さんに行ったこともあったし、欲しかったカセットテープレコーダーを当たり馬券で買ったこともあった。

子供の頃から普通に競馬がある生活だったから、大学生となり、更に大人な気分になってからは、法学部生なのに違法なことをしている自分を可笑しがりながら楽しみつつ、あまりにも自分の生活に浸透してしまっているため普通に競馬場やウインズに行っていたし、馬券も普通に買っていたのだった。

日向正寛は仙台から上京して、大学生になってから初めて競馬というものを知った。

須々木悟朗が彼を競馬場にひっぱって行ったのが始まりだった。

入学したばかりで、もともとは、家でクラッシック音楽を聴きながら純文学と言われる著書を読むのが好きな大人しい性格で人見知りをするタイプであったため、話す友達もなく学食でひとり黙々と昼食をとっていたところに須々木がとつぜん「メガネ君、ここ座っていいよね?」と言って正面の席に座って「俺、須々木悟朗。経済学部。1限のキリスト教論の授業で後ろの席に座ってたんだけど。よろしく!!」といきなり元気に自己紹介をしてきた。

彼もそんな、須々木の勢いに面食らって、「文学部日本文学科の日向正寛です。」と自己紹介をした。実は真面目そうな日向と仲良くなって、同じ学部だったらノートを借りたりしたいなどと思っていた須々木にとっては当てが外れたのだが、自分の出身地やら出身高校の話などをしてなんとなく仲良くなって、授業が終わったあと東京を案内してやるよ、と連れて行かれたのが大井競馬場のトゥインクルレースであった。

 競馬場に来たのはじめての体験。きょろきょろとあたりを見回していると、「ひゅー、置いていくぞ。」とそんな日向を面白がっていた。いつのまにか、ひゅーというあだ名も付けられていた。

どう買っていいのかも分からず、好きな番号と馬の名前で買ってみたらアラ不思議。ビギナーズラックという奴で、500円が6千円に化けてしまった。

その6千円と須々木が勝った分を合わせて二人でぱーっと飲み明かした。

高校時代の彼女の話だとか、理想の女性像だとか、将来の夢だとか大学生活はこうして過ごしたいだとか、須々木の競馬の薀蓄だとか、日向は日向で「こころ」は高校時代に読んでおくべき作品だとか、モーツァルトの生涯のことを語りまくって須々木を困らせてみたりと、たくさん話をして大いに盛り上がった。

酒も初めてであったし、須々木にからかわれてむせながら煙草を吸ってみたり、と大人しい日向にはありえない初めての体験をたくさんした1日であった。

良いか悪いかは別として友達も出来たし、ちょっと儲かって東京に来て初めて楽しい時間を過ごしたりと、面白い体験をしたせいか、それ以来、完全に競馬の魅力に嵌ってしまい、毎週のように競馬場かウインズに通っている。

2006年10月 1日 (日)

1990年・春(1)

1990年、春。

桜田匠と日向正寛、須々木悟朗、椿慎吾の仲良し4人組は、安田記念が行われる東京競馬場にいた。当然、お目当ては当然オグリキャップだ。

4人は首都圏で行われるビッグレースは必ずといっていいほど競馬場に足を運んでいる大学3年生。大学の競馬サークルを通じて知り合った仲間達。

それぞれの苗字に季節の植物の名前が入っていることから春夏秋冬の4バカとサークル内で呼ばれ、「俺の季節だから、間違いなしだ。」と予想をし、外すと他のサークルのメンバーからお前のせいだといわれるといったようなやりとりをしてふざけ合うこともあったり、大真面目に予想をしたりと競馬を楽しんでいた。

 競馬法により、馬券を買うことは厳密にいえば違法なのだが、そんな事は関係なく、多くの大学生達は普通に馬券を買い、競馬をやるのは当たり前のことだった。

中には稀に予想だけをして馬券を買わないという仲間もいたが、大概は馬券を買い、その結果に一喜一憂していたし、彼らもまた当然のように馬券を買い、競馬ライフを謳歌していた。

当時は早い者は高校生くらいから、大人の遊びを覚えていくのだが、遅い者でも大学に入ったところで、合コンやらサークルでの飲み会やらで、酒やタバコを覚え、同じように競馬やパチンコやマージャンといった大人の遊びを覚えていく。

酒やタバコは20歳からで、パチンコは18歳なのに、競馬は未成年及び学生は駄目。それぞれに制限年齢が微妙に違うのは仕方ないとして、何故に競馬は20歳を越えても学生が駄目なのか?桜田匠は疑問に感じながらも競馬を楽しんでいた。

可笑しな法律があるものだ。学生でも成人なのだから、せめて学生のところを高校生に変えるとか、学生の場合は買える金額に制限をつけるとかいろいろ方法はあるはずだ。

学生に馬券を買わせないことよりももっと規制しなくてはならないことがあるはずで、改正したり、新たに施行したり、削除するべき法律なんてたくさんあるはずなのに。そんなことを考えながら、法学部の学生であるくせに違法なことをしている、と思うと少し気がとがめたりはするのだが、くだらないと思っている法律を破っている自分がなんだか面白くて、やっぱり辞められない。

匠は生まれた場所が中山競馬場のすぐそばで、しかも小学、中学と中山競馬場が目の前にあるの学校に通っていた。月曜の朝ともなると、校門付近の道路や校庭などには捨てられた馬券が沢山落ちていて、その馬券を掃除するのが生徒達の仕事だった。

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