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2006年10月 6日 (金)

オグリキャップ(1)

オグリキャップ。

地方笠松から来た芦毛の野武士は、3歳クラシックの登録がなく、皐月賞や日本ダービーへの出走が叶わなかった。

 しかし、同世代の重賞を4連勝。更に高松宮杯、毎日王冠と古馬も一蹴し、その知名度は競馬ファンの間では一気にUPしていった。

 この時代、何故か芦毛馬の活躍が目立ち、遅れてきた芦毛のヒーロー、タマモクロスとの対決が話題をさらった。

 天皇賞、ジャパンカップは敗れたものの、有馬記念で雪辱を果たし、3歳にしてNO.1の座に就いたのだった。

そして4歳時、オグリの人気は頂点を迎える。オールカマー、毎日王冠と連勝し迎えた天皇賞秋を2着に敗れた後、ジャパンカップの前にマイルCSに出走。

 もう届かないだろうと思われた位置から一完歩ずつ前を行くバンブーメモリーとの差を縮め、バンブーをハナ差捕らえた所がゴール。

歴史に残る好レースをした後、何と連闘でジャパンカップに出走。

 ここでも勝ったホーリックスと同タイム2分22秒2のレコードタイムで2着という走りを魅せた。

 多分この時から、オグリを応援するファンが更に増えたのではないだろうか。地方笠松から登場したオグリキャップは、時として薄汚く映る芦毛馬であったし、血統もお世辞にも良いとは言えない。

 そんな馬が生まれながらのエリートを次々と倒すという物語は、ハイセイコーの時代も含め、日本人が好む判官贔屓な部分も多分に持ち合わせていたに違いない。

 

 しかし、ジャパンカップの力走で、どんなに苦しくキツイ場面でも頑張るオグリキャップという存在は、競馬という枠の中を飛び出し、国民的アイドルホースへと変わって行ったのだと思う。

 それまで競馬に興味が全くなかった椿慎吾でさえ、ジャパンカップを見た後、オグリの虜となり、SGHCに入会している訳だから・・・

ジャパンカップの次走は当然グランプリ・有馬記念。スーパークリーク、サクラホクトオー、イナリワンらのライバルの中、オグリキャップは当然、単枠指定で断トツ1番人気。

 オグリがクリスマスプレゼントを運んでくれると信じた多くのファンが中山競馬場に集まったのだが、しかし、激戦の疲労が溜まっていたのか、直線で伸びず5着と不可解な敗戦を喫してしまう。

2006年10月 5日 (木)

1990年(春)・5

競馬への入口は全く違う4人だったが、4人共、青明学院大学競馬クラブ-略称SGHC(Seimei Gakuinunivercity Horse Club)というサークルのメンバーになっていて、競馬三昧の毎日を送っていた。

サークルの活動としては、週末の競馬観戦だけでなく、平日は、トゥインクルレースでナイター競馬を楽しんだり、競馬ブックで週末の検討をしたり、とにかく生活の中心に馬があった。

ただし、純粋に競馬をするサークルというのでは殺伐感があると感じた創設者が、青明学院大学ホースクラブという乗馬体験や馬事文化の研究などをする馬が好きな人のためのサークルと言うことで登録をしているため、競馬クラブではなく、ホースクラブとなっていたのだった。

サークルは、その略称としてSGKCではなく、SGHCと略され、メンバーのほとんどはこの略称を使っている。FBIだとかNASAだとかSWATだとかそういうローマ字略称がかっこいいと思ってみんな好んでいる。

競馬全般というサークルだから、乗馬部のメンバーが掛け持ちで入っている場合もあったり、寺山修司に魅せられた演劇部との掛け持ちの奴もいたりはしたが、大概は競馬好きの集団だった。

少し前なら、競馬=馬券が大きな割合を占めていたサークル内だったが、この頃には、特定の騎手や馬だけを応援するというメンバーのグループも多数あった。

武豊、藤田伸二、岡潤一郎、横山典弘、田中勝春などの人気騎手や、タマモクロス、オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン、ヤエノムテキなどの人気馬をとにかくひたすら応援する。

馬券で勝った負けたはそんなに関係がなく、横断幕を作っては競馬場に行き、彼ら騎手や特定の馬だけを応援したり、彼らの写真をひたすら撮ったりするのだ。

 したがって馬券を買うにしても単勝だけだったりする訳で、それも最低金額の100円のみ。見方によっては、タレントやスポーツ選手の追っかけのようなノリで、騎手や馬を応援しているのだった。

2006年10月 4日 (水)

1990年・春(4)

椿慎吾は大学に入ってからも暫くは競馬という遊びには興味を示さなかった。

小学校から青明学院に通っていた彼は、競争をするということ事態にあまり興味がなく、競馬よりも中学時代から続けているテニスに夢中だったし、週末とのなれば、社会学部の同じゼミの仲間と流行り始めていたサーフィンも始めていた。

どちらかと言うと、体を動かしているほうが好きなタイプで、長身で甘いマスクのルックスを生かしてアルバイト程度に雑誌のモデルのようなこともしたりと多忙な毎日を過ごしていて、競馬には全くと言っていいほど無縁な生活をしていた。

そんな彼が競馬に興味を持ったのも、オグリキャップの存在だった。

周りの皆がオグリオグリと騒ぐので、競馬を知らなくてもオグリキャップの名前くらいは知っていたし、元々何でも1度は体験しないと気がすまないタイプだったので、1度くらいはオグリを観に行ってみようと思ってサーフィン仲間と一緒に行動を起こしたのが、海の水温が下がる秋の暮れ。

 オグリが劇走したジャパンカップだった。

馬券の買い方も良く分からないまま、サーフィン仲間と初めて競馬場に行った慎吾は、とにかくオグリキャップを買っていれば大丈夫と思ったらしく、単勝、複勝、枠連のオグリからの全ての組み合わせを購入し、万全の体制でレースを迎えた。

 結果は世界レコードと同タイム2分22秒2。オグリの走りは初めて競馬を見た慎吾にとっても、その走りは鳥肌モノだった。そして何より初めて買った馬券が見事に当たってしまった。

残念ながら単勝は外したが、枠連と複勝が的中。これまで体験したことのない興奮。この瞬間から、慎吾はオグリキャップ教の信者となる。

そのかわり付き合っていたミス青明学院の彼女には、「ギャンブルをする人なんてイヤ!!」と言われて振られてしまった。

彼はどんな女の子にも振られるなんてまず無いことで、人生で初めて振られるという体験をしたにもかかわらず、懲りずに競馬三昧をしているのであった。

むしろ、この競馬熱を理解してくれない女とは付き合わない。

そんな風に心に決めているくらいだ。

2006年10月 3日 (火)

1990年・春(3)

須々木悟朗は、高校時代から付き合っている滝川怜子と大井競馬場にいったのが競馬との付き合いの始まりだった。

 彼女の父はウォーターフォールズマーケットという大型スーパーや総合スーパーを国内に十数店舗持っているウォーターフォールズ社を経営している社長で、大井競馬の厩舎に馬を数頭預けている馬主でもあった。

そんな彼女の父が待つグッドラックという、彼女が名付けた馬が初めて走るというので、2人で学校をサボって大井競馬場に出かけたのだった。

 グッドラックは見事彼女と彼女の父親の期待に応えて優勝。一緒にいた須々木は、一緒に口取りと記念撮影に参加させてもらい、一気に競馬ファンになった。

大学生になってからも、何度となく彼女と競馬場に出かけては、彼女の父の馬を応援したりしていて、プチ馬主気分を味わっている。

付き合って5年。2人の関係は順調だし、彼女の両親とも競馬という共通の趣味のお陰でとてもスムーズだ。最近では、どんな血統の馬を買ったら良いだろうか?とロメオ・Y・ジュリエッタというシガーブランドのチャーチルズという名のシガーを美味しそうに吸い、ロマネコンティの入ったグラスを傾けながらの父親の問いかけに応える為に、血統の勉強も始めている。怜子いわく彼がシガーを吸うときは楽しいと感じているときなんだと言っているらしい。

少し前に卒業後の進路を彼女の父親がチャーチルズに火をつけながら聞いてきたので、これはもしかして、スーパーチェーンの跡取り候補か?

などと、勝手に舞い上がっていたりもするが、彼女の方は、まだ結婚には現実的ではないらしい。

最近では海外の大学に留学したいと、フランス語の勉強のためにアテネフランセにせっせと通い、もともと得意な英語にさらに磨きをかけるために必死に勉強していてデートの約束も須々木から言わないとないくらいだ。

他に会えるとしたら、彼女の父親の馬が出走するときに呼ばれるくらいだった。やっと取り付けた約束のデートの時にはいつも親の力に頼らず、自分の力で自分の人生を切り開きたいと目を輝かせて語っていた。そんな彼女の顔をついついかわいいな、などと思って見とれてしまう須々木だが、彼女が就職希望先として外資系の商社の名前を何社も口にするたびに現実を突きつけられて我に返るばかりであった。

2006年10月 2日 (月)

1990年・春(2)

何も知らない小学生達は、もしかしたら当たり馬券が落ちているかも!と妙なテンションで朝早くから盛り上がっていて、中には、落ちていた馬券を前日の結果と照らし合わせて確認しながら掃除をしていた奴もいたくらいだった。

まあ実際、当たり馬券を手に入れたという話は一度も聞かなかったが、今となっては、そんなとこに当たり馬券が落ちている訳がない事も分かるし、懐かしい思い出だ。

 そんな環境で育ったからではないだろうが、匠は中学生の頃からは、家にあったスポーツ新聞で競馬予想をして楽しんでいた。もちろん、予想するだけでなく、GⅠなどの大レースの時は、父親に頼んで馬券を買ってもらったりもしていた。

 ある時など、50倍もの配当を1000円買っていて、儲かったお金で父と母と妹と4人で寿司屋さんに行ったこともあったし、欲しかったカセットテープレコーダーを当たり馬券で買ったこともあった。

子供の頃から普通に競馬がある生活だったから、大学生となり、更に大人な気分になってからは、法学部生なのに違法なことをしている自分を可笑しがりながら楽しみつつ、あまりにも自分の生活に浸透してしまっているため普通に競馬場やウインズに行っていたし、馬券も普通に買っていたのだった。

日向正寛は仙台から上京して、大学生になってから初めて競馬というものを知った。

須々木悟朗が彼を競馬場にひっぱって行ったのが始まりだった。

入学したばかりで、もともとは、家でクラッシック音楽を聴きながら純文学と言われる著書を読むのが好きな大人しい性格で人見知りをするタイプであったため、話す友達もなく学食でひとり黙々と昼食をとっていたところに須々木がとつぜん「メガネ君、ここ座っていいよね?」と言って正面の席に座って「俺、須々木悟朗。経済学部。1限のキリスト教論の授業で後ろの席に座ってたんだけど。よろしく!!」といきなり元気に自己紹介をしてきた。

彼もそんな、須々木の勢いに面食らって、「文学部日本文学科の日向正寛です。」と自己紹介をした。実は真面目そうな日向と仲良くなって、同じ学部だったらノートを借りたりしたいなどと思っていた須々木にとっては当てが外れたのだが、自分の出身地やら出身高校の話などをしてなんとなく仲良くなって、授業が終わったあと東京を案内してやるよ、と連れて行かれたのが大井競馬場のトゥインクルレースであった。

 競馬場に来たのはじめての体験。きょろきょろとあたりを見回していると、「ひゅー、置いていくぞ。」とそんな日向を面白がっていた。いつのまにか、ひゅーというあだ名も付けられていた。

どう買っていいのかも分からず、好きな番号と馬の名前で買ってみたらアラ不思議。ビギナーズラックという奴で、500円が6千円に化けてしまった。

その6千円と須々木が勝った分を合わせて二人でぱーっと飲み明かした。

高校時代の彼女の話だとか、理想の女性像だとか、将来の夢だとか大学生活はこうして過ごしたいだとか、須々木の競馬の薀蓄だとか、日向は日向で「こころ」は高校時代に読んでおくべき作品だとか、モーツァルトの生涯のことを語りまくって須々木を困らせてみたりと、たくさん話をして大いに盛り上がった。

酒も初めてであったし、須々木にからかわれてむせながら煙草を吸ってみたり、と大人しい日向にはありえない初めての体験をたくさんした1日であった。

良いか悪いかは別として友達も出来たし、ちょっと儲かって東京に来て初めて楽しい時間を過ごしたりと、面白い体験をしたせいか、それ以来、完全に競馬の魅力に嵌ってしまい、毎週のように競馬場かウインズに通っている。

2006年10月 1日 (日)

1990年・春(1)

1990年、春。

桜田匠と日向正寛、須々木悟朗、椿慎吾の仲良し4人組は、安田記念が行われる東京競馬場にいた。当然、お目当ては当然オグリキャップだ。

4人は首都圏で行われるビッグレースは必ずといっていいほど競馬場に足を運んでいる大学3年生。大学の競馬サークルを通じて知り合った仲間達。

それぞれの苗字に季節の植物の名前が入っていることから春夏秋冬の4バカとサークル内で呼ばれ、「俺の季節だから、間違いなしだ。」と予想をし、外すと他のサークルのメンバーからお前のせいだといわれるといったようなやりとりをしてふざけ合うこともあったり、大真面目に予想をしたりと競馬を楽しんでいた。

 競馬法により、馬券を買うことは厳密にいえば違法なのだが、そんな事は関係なく、多くの大学生達は普通に馬券を買い、競馬をやるのは当たり前のことだった。

中には稀に予想だけをして馬券を買わないという仲間もいたが、大概は馬券を買い、その結果に一喜一憂していたし、彼らもまた当然のように馬券を買い、競馬ライフを謳歌していた。

当時は早い者は高校生くらいから、大人の遊びを覚えていくのだが、遅い者でも大学に入ったところで、合コンやらサークルでの飲み会やらで、酒やタバコを覚え、同じように競馬やパチンコやマージャンといった大人の遊びを覚えていく。

酒やタバコは20歳からで、パチンコは18歳なのに、競馬は未成年及び学生は駄目。それぞれに制限年齢が微妙に違うのは仕方ないとして、何故に競馬は20歳を越えても学生が駄目なのか?桜田匠は疑問に感じながらも競馬を楽しんでいた。

可笑しな法律があるものだ。学生でも成人なのだから、せめて学生のところを高校生に変えるとか、学生の場合は買える金額に制限をつけるとかいろいろ方法はあるはずだ。

学生に馬券を買わせないことよりももっと規制しなくてはならないことがあるはずで、改正したり、新たに施行したり、削除するべき法律なんてたくさんあるはずなのに。そんなことを考えながら、法学部の学生であるくせに違法なことをしている、と思うと少し気がとがめたりはするのだが、くだらないと思っている法律を破っている自分がなんだか面白くて、やっぱり辞められない。

匠は生まれた場所が中山競馬場のすぐそばで、しかも小学、中学と中山競馬場が目の前にあるの学校に通っていた。月曜の朝ともなると、校門付近の道路や校庭などには捨てられた馬券が沢山落ちていて、その馬券を掃除するのが生徒達の仕事だった。

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